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『選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義』
Sheena Iyengar (シーナ・アイエンガー)著 櫻井祐子訳 文藝春秋(2010年11月) そんなに期待していなかったが、読み進むうちに夢中になり一気読みしてしまった。 英語での原題が The Art of Choosing。 内容的にこちらの音のほうが自分の気持ちにしっくりくる。 これまで読んだ本のなかで間違いなくトップ5に入る。 私はかつて「途上国の貧困にあえぐ人たちと先進国に住む自分たちとの決定的な違いは、選択肢があるかないかだ。」と口にしていた。 いま思えば表面的な事象を見ただけの軽く薄っぺらい言葉だ。 (それも、もしかしたら誰かの受け入りを得意げに語っていたのかも…) でも、この本を読んで、「選択」というのは一言で語ることのできない、社会的・文化的・政治的・歴史的・イデオロギー的・倫理的・道徳的な要因が複雑に影響する行為なのだということが感じ取れた。 「選択」というものをここまで多角的に掘り下げた著者に畏敬の念すら覚える。 著者は、あのジャム研究(人は選択肢が多すぎるとかえって選べない)で有名なシーナ・アイエンガー。 バックグランドも興味深い。 「1969年、カナダのトロントで生まれる。 両親はインドのデリーからの移民でシーク教徒。 1972年にアメリカに移住。3歳のとき、眼の疾患を診断され、高校にあがるころには全盲になる。 シーク教徒の厳格なコミュニティが反映され、両親が、着るものから結婚相手まで、すべて宗教や慣習できめてきたのをみてきた。 そうした中、アメリカの公立学校で、「選択」こそアメリカの力であることを繰り返し教えられることになり、大学に進学してのち、研究テーマにすることを思い立つ。 20年以上にわたり「選択」に関する広範な実験・調査・研究を行っている。」 このバックグラウンドは序章『私が「選択」を研究テーマにした理由』で詳しく語られている。 第1講 選択は本能である。 わたしたちが「選択」と呼んでいるものは、自分自身や、自分の置かれた状況を、自分の力で変える能力のことだ。選択するためには、まず「自分の力で変えられる」という認識を持たなければならない。(p23) 人間は生まれながらに選択を行う手段を持っている。だが、それと同じくらい重要なのは、わたしたちが「選択したい」という欲求を生まれ持っていることだ。(p26) 選択にかかわる主要な脳の部位は、皮質線条回路。その主要な構成要素である線条体は脳の中央部に深く埋め込まれていて、その大きさと昨日は動物界全体でほとんど変わらない。線条体は、高次と低次の精神機能をつなぐ配線盤のような役割を果たす。つまり脳内リンクを提供する。 リンクには関連づけが必要。ここで皮質線条回路のもう半分の前頭前皮質が絡んでくる。 前頭前皮質は脳の指令センターのような働きをし、線条体や身体のその他の部位からメッセージを受け取り、このメッセージをもとに、最良の行動方針を決定し、実行する。 また前頭前皮質は、行動が今または将来的に及ぼす影響の、複雑な費用効果分析にも関わっている。(p25) この研究で、人々の健康に最も大きな影響を与えた要因は、人々が実際にもっていた自己決定権の大きさではなく、その認識にあった。(p35) 人間は、世界に対する見方を変えることで、選択を生み出す能力を持っているのだ(P35) 第2講 集団のためか、個人のためか 制約は必ずしも自己決定権を損なわず、思考と行動の自由は必ずしも自己決定権を高めるわけではない。 だれしもが自分の人生は自分でコントロールしたいと思っている。だが人がコントロールというものをどう理解しているかは、その人がどのような物語を伝えられ(社会的文化的宗教的などの文脈)、どのような信念を持つようになったかによって決まるのだ。 何が学習の動機付けになるかは属する文化で違う(p72) 個人主義社会と集団主義社会のそれぞれの価値観とそれによる選択・行動の違い 特定の状況を支配する主体がだれなのか、あるいは何なのかという認識を形成する上で、文化が重要な要素になっている。(p82) ⇒「選択とは何か」という考え方に文化差がある。文化は、わたしたちの選択の自由度に対する認識や選択したいという欲求の大きさに影響を与えるだけにとどまらず、私たちが実際に選択を行う方法にも(自分自身で選択を行う場合)、ひいては社会全体にも、影響を及ぼすのだ。 心理学者/社会理論家のエーリッヒ・フロム「自由からの逃走」(1941) 自由は互いに補完する二つの部分に分けることができる。 ①「からの自由」 一般に「自由」といえば、「人間をそれまで抑え付けてきた政治的、経済的、精神的束縛からの自由」をサすことが多い(目標の追求を力ずくで妨害する外部の力が存在しない状態)。 ②「する自由」 可能性としての自由。何らかの成果を実現し、自分の潜在能力を十全に発揮「する自由」。(p93) 第3講 「強制」された選択 みんなと同じように、わたしも人と変わってる(自分だけは人とは「ちょっと」違いユニーク) 人はその他大勢と見られることに我慢できない 認知的不協和の克服、自己認識を錯覚で変えていく 他人の選んだものは選びたくない 他人にどう見られているか: わたしたちは自分の思い描く自己像と他者が思い描く自己像とを一致させることを、とても重視するため、自分が他人に本当はどう思われているかを知るための手がかりを、たえず他人の行動から読み取ろうとしている。 自分に対する自己と他人との認識ギャップはなぜ生まれるのか?:自分は自分の行動の背後にある意図がわかっているから、自分の行動を正当と考える。でも人は、自分の見るものだけに反応するものだ。ちょうど歌のリズムでテーブルを叩いて曲名をあててもらうゲームのようだ。(秀逸な喩え!!) その上、他人はあなた(自分)の行動をからっぽの状態で判断するわけではなく、自分の経験のレンズを通して解釈するか、またはあなた(自分)の外見からこういう人物だろうと判断を下し、その人物像についての一般的な固定観念を通して解釈するのだ。(p135) 第4講 選択を左右するもの 経験則: ①想起しやすさ、②フレーミング、③関連づけ、④確認バイアス 専門家の目 吊り橋効果 第5講 選択は創られる 商業的ファッションの色トレンド予測 ミネラルウォーター: ブランドを飲んでいる 人はなぜコカ・コーラを選ぶのか 投票行動は容姿に影響される 第6講 豊富な選択肢は必ずしも利益にならない 「ジャムの研究」 選択できること、実際に選択することを制限する。その選択がもたらす行動は、情報に基づく直感、つまり「超思考」に基づく。 第7講 選択の代償 わが子の生死を選択する(延命装置を外すか) ソフィーの選択 選択の放棄を選択する 最終講 選択と偶然と運命の三元連立方程式 シジフォスの神話: 頂上へ向かうその行為こそに意味がある 以上 それにしてもブログにBookメモ(まあ備忘録か)をアップするのは久しぶりだ。 前回が2010年7月だから、ほぼ1年になろうとする。 読書は仕事・興味・オフ用に1ヶ月20冊以上を心がけ、そこそこ実践してきた。 自分用のメモとしてのブログにアップする気が起きなかったのは、やはり自己表現力に欠けていて、そこからくる情けなさのせいなのかも。 他の人たちのブログを読むたびに、自分の考えや感じたことを豊かに語ることができるのか不思議でならない。 積み重ね…かな。 今年は自己表現力に磨きをかけることを目標の一つとしよう。 (って一年も後半になるが) とりあえず今回はメモで。
by ou_allons_nous
| 2011-06-02 12:30
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